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聞こえない人への無意識の偏見を変えたい。障害の有無に関わらず共生できる社会を目指して

行けるところまで行く。聴覚障害者で初の薬剤師に

 現在、薬剤師として昭和大学病院(2025年4月より昭和医科大学病院に名称変更)に勤務し、調剤業務と聴覚障害者外来を担当する早瀨久美さん。

 「私は生まれつき耳が聞こえず、いつも誰かに助けてもらっていました。これからは人を助ける仕事がしたいと思い、母と同じ薬剤師を目指しました」

 しかし当時は法律上、聴覚障害者は国家資格に合格しても薬剤師免許の登録ができなかった時代。それでも諦めず大学の薬学部に進んだ理由とは?

 「背中を押したのは、『法律は人が作るものだから、人が変えられる可能性がある』という母の一言でした。行けるところまで行こうと思い国家試験に合格。その後、薬剤師免許交付に向けて仲間と共に法律改正を望む署名も集めました」

 2001年、念願だった薬剤師法の改正に伴い、聴覚障害者で初めて薬剤師免許を取得。「もし失敗してもまた頑張ろうと思える性格」。自らをそう語る横顔には、強さとしなやかさが滲みます。

自転車競技を通じてユニバーサルな社会を発信

聞こえない人への無意識の偏見を変えたい。障害の有無に関わらず共生できる社会を目指して
デフリンピック競技大会(ブラジル2021) 女子マウンテンバイクで銀メダル獲得

 目の前にある壁に挑み超えていく、行動の人という印象の早瀨さんには、もう一つの肩書があります。それは自転車競技者。聴覚障害者を対象にした国際スポーツ大会「デフリンピック」では、女子選手として最年長で3大会続けてメダルを獲得しています。

 「最初、デフリンピックには薬剤師として関わりました。薬剤師免許を取得してすぐの頃、あるデフアスリートから『この薬を使っても大丈夫?』と質問されたんです。ちょうどドーピング問題が世界的に注目され始めた時期だったこともあり、競技と薬の関わりを深く知りたいと思い、2009年世界で最初に日本が制度化したスポーツファーマシスト※の資格を取得。同じ年に開催された2009台北大会にスポーツファーマシストとして参加し、日本選手団携行医薬品の用意を担当しました」

 現地に応援に行くと「今までにない感動を受け、心に火が着いた」と振り返ります。  「一緒に行った主人が最初に自転車競技を始め、サポートするうちに私もやろうと思い挑戦したんです。当初は危ないから、と反対の声もありました。でも聴覚障害者は聞こえない代わりに目を使い、広い視野で状況を把握する能力に優れています。聞こえないから危ないというアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を変え、聞こえなくても自転車競技ができることを見せていきたいと思いました」

聞こえない人への無意識の偏見を変えたい。障害の有無に関わらず共生できる社会を目指して

 初の日本開催となる「東京2025デフリンピック」を11月に控え、早瀨さんは50歳で日本代表を目指します。代表に選ばれたらもちろん嬉しいし全力を出し切る。だけど大会への出場は”通過点”だと言います。

 早瀨さんが大会の先に見据える未来とは、「例えば生活の様々な場面で文字情報が当たり前になるなど、障害の有無に関わらず快適に暮らせるユニバーサル社会です。そのために聞こえない人たちがやってきた取り組みを発信するのも、私の役割だと思っています」

※最新のドーピング防止規則に関する知識を持つ薬剤師。

相手を知ろうとする気持ちがあれば、コミュニケーションは深まる

聞こえない人への無意識の偏見を変えたい。障害の有無に関わらず共生できる社会を目指して

 薬剤師、そしてアスリートとして道を切り開いてきた早瀨さんですが、子供の頃から無意識の偏見を感じる機会は多々あったと言います。
心がへこんだ時は「聞こえる人は、聞こえるから大変なこともある」と頭を切り替えると楽になり、「聞こえない私ができることは何か」と考え勉強もスポーツも今の自分にできることを一生懸命やってきました。

 早瀨さんに会って感じたのは、健常者は聞こえない人を無意識に弱者と捉え、その偏見がコミュニケーションの隔たりになっていないかということ。

 「聞こえない人は手話、筆談、アプリなど、実はコミュニケーションの引き出しをたくさん持っています。コミュニケーションの方法を一番知っているのはろう者かもしれません。聞こえない人と接する機会があれば、相手が伝えたいことを知ろう、キャッチボールをしようという気持ちを持ってほしい。その気持ちがより良い共生社会を作っていくと思います」

聞こえない人への無意識の偏見を変えたい。障害の有無に関わらず共生できる社会を目指して

早瀨久美さん

〈プロフィール〉

1998年、明治薬科大学薬剤学科を卒業後、薬剤師国家試験に合格。2001年、薬剤師法改正に伴い薬剤師免許を取得。大正製薬と日本調剤株式会社を経て、昭和大学病院薬剤部に勤務。2010年から自転車競技にチャレンジし、デフリンピック3大会連続でメダルを獲得している。東京2025デフリンピック自転車競技日本代表内定(マウンテン競技/ロード競技)